コラム

Home > コラム

2023.06.22

安城市訪問 その2 杉野秀樹

 1月下旬の安城市訪問では、なすべき事が二つありました。一つは前回のコラムに書いた「砺波市/安城市交流美術展」の開会式出席。もう一つが講演会です。

 当館の杉本学芸員がギャラリートークをすることになっていたので、講演会で展示作品解説をするのも芸がないと思い、展覧会と関係なく砺波平野の散居村を描いた作品を紹介しようと思いました。題して「美術による『砺波野』点描」。散居村の独特の景観が美術家の創作意欲を大いに刺激してきただろうから、紹介すべき作品に事欠かないだろう、と高を括っていました。

 所蔵作品を熟知していない不勉強館長。恥ずかしげもなく学芸員に聞きました。「散居村の景観を描いた絵は?」と。すると予想もしなかった答えが返ってきました。「1点もありません」と。うかつでした。私の頭に「無い」という選択肢はそれこそ全く無かったのです。「展覧会に貸し出す作品の中に散居村の絵がないな」とおぼろげな記憶はありましたが、単に当館の代表作に該当する作品が無いだけで、貸し出さない作品の中にお目当てのものがあると思い込んでいたのです。演題はとうに決めて安城市に伝えているのに、肝心の作品がない、とは。正直、焦りました。そこで頼ったのが、前職場の富山県美術館のコレクションです。

 今から40年前、置県100年を記念して、日本画壇の第一線で活躍している日本画家・洋画家に富山の自然、文化、風俗を描いてもらった「富山を描く100人100景」の中に砺波平野を描いた作品があります。平野を南から北に向かって流れる庄川を描いた福井爽人。典型的な散居村の「あずまだち」の家屋とカイニョ(防風林)を描いた山下大五郎、幾何学形態に処理した家屋を点描で描いた山田嘉彦。残念ながら、両作品とも一軒の農家のクローズアップです。散居村の景観を特徴づける点在する家々を描いた田園風景画は、田渕俊夫の《井波》(1980年)だけ。

 1点では物足りないので、織田一磨の《富山県医王山からみた立山連峰》(1935年)や地元作家の齋藤清策《庄川峡展望》(2004年)などを加えて何とか格好をつけることができました。が、砺波平野全体に散りばめられた家々、その景観を主題とした作品が本当に少ないことが分かりました。

 講演の最後に、散居村は絵にしにくいのかとの問いを自身に投げかけ、以下の言葉で締め括りました。「平野のどこを切り取っても同じように見えてしまう。個性を打ち出しにくい景色なのかもしれないですね」と。

 

となみ散居村ミュージアム伝統館「あずまだち」の家屋

 質疑応答でご提案をいただきました。「あずまだち」の家屋の正面上部の木枠と漆喰による三角形部分の構成はどれも似ているものの、同じものがないならば、それらを組み合わせてパッケージデザインなどで活用できないだろうか?単純な繰り返しのように見えて、そうではない、面白い図案ができそうな気がする、と。それに対して私は「ピート・モンドリアン的な図案になりそうですね」と返しましたが、心の中では「なるほどニューヨーク近美が購入した《ブロードウェイ・ブギウギ》ならぬ《砺波野散居村ブギウギ》的にならないものか」と。

 

追記1

向かって右作品が《砺波の散居》

 安城での講演の後、木版画家の故佐竹清氏の、散居村を主題とした作品7点をご遺族から寄贈いただきました。「あずまだち」の家屋にカイニョを配した典型的な農家を画面中央に描いた作品が多い中に、1点、平野に点在する家々を描いた木版画《砺波の散居》(1994年作)があります。今年のゴールデンウィーク期間中に市民ギャラリーで展示しました。

 

 

 

 

 

今年(2023年)の大行燈

追記2 

  6月9日、10日に行われた「となみ夜高まつり」の審査で、我が町内製作の大行燈が安城市交流都市賞を受賞しました。2018年、町内の中堅、若手が中心となって30数年振りに挑んだ大行燈製作。その時も安城観光協会会長賞をいただいております。個人的にではありますが、ご縁の深さをしみじみと感じました。